だんだん良くなっていく


言葉には言霊と言って力があるそうです。
毎日こう言っていれば、そのうち本当にそうなるんじゃないかな?

バンジージャンプ

自分にできそうもないこと、絶対やりたくないことというのがある。

「そういうことをいくら貰ったらやるか?」雑談でそんなことをおしゃべりした。


たとえば、バンジージャンプ。ジャンプ台の上に行くだけでも恐い。よくあんなことができるものだと思う。

私の場合、
10万円でどう?   絶対やらない。
100万円でどう?   絶対やらない。
1億円でどう?   ちょっと考えるけど・・やっぱりやらない。
100億円でどう?   それはもう貰っても困るだけだからやらない。

この年になって100億円貰っても何もいいことはない。落下の衝撃で関節が外れてしまうかもしれないし、脳の血管が切れてしまうかもしれない。体が無事であっても、その後詐欺に狙われたり、金目当てに付き合おうとする人が寄ってきたりするんだろうなあ。

まあ、有名人でも何でもない高齢者に100億円あげるからバンジージャンプしてっていうお金持ちはいるわけがないので、こんなことを考えてもしょうがないですけどね。


だんだん良くなっていく、だんだん良くなっていく。

3年ぶり

前回の記事を投稿してからどれくらい経ったのだろうと思って見てみたら・・・なんと3年近くも経っていました。「年取るほどに時間が過ぎるのが速くなる」とずいぶん前から世間でもよく言われてきたし、自分でもそう思っていたけれど、まさかついこの間と思っていたのが3年前だったとは!

まあ、その間も年相応の体の不具合は少しはあるけれども、おおむね元気に過ごしておりました。

さて3年ぶりでも、投稿する内容は本当にどうでもいいようなことなんですが・・・


今朝起きたらダンナが、「すごいよ、すごいよ。」と言っていました。
「どうしたの?」と聞くと、

「あのね、夢の中でみんなで集合写真を撮っていたんだけど、セルフタイマーをセットして、・・・・3,2,1 カシャ!ってシャッターが下りる瞬間に、枕もとの目覚ましの音が鳴って目が覚めたんだよ。すごいよね。」

「まあ、う~~ん、確かに・・・すごいね。」


だんだん良くなっていく、だんだん良くなっていく。

悩み相談のすごい本




悩み相談のQ&Aを載せた本は今までいくつか読んだことがあるけれど、個性的な有名人が回答者であっても、たいてい普通の人でも思いつくような回答が多かった。

しかし、幡野さんのは違った。

相談者の言葉の裏にある心理を深く読み取ったり、そこから相談者と周りの人との関係を鋭くあぶり出したりして、ドキッとしてしまうこと多々ありだった。本当にすごい人だと思う。 また幡野さん自身の今までの経験や人間関係をさらりと持ち出して回答することもあるんだけれど、ご本人も大変なことをいろいろと乗り越えてこられたのだなと思った。

こういう人をおじいちゃんに持つ子供は楽しいだろうなあ



若い頃の椎名さんの本はたくさん読んでいて、魅力的な人だなあと思っていた。ずいぶん久しぶりに年取ってからの椎名さんの本を読んだけれど、相変わらず素敵な人だ。

日本で普通に生活している私なんかには想像もできないような、世界のいろいろな場所での体験を読ませてくれた。本当に新鮮だし面白いし、椎名さんってやっぱりすごく魅力的な人だなあと思う。

こういう人をおじいちゃんに持つ子供は楽しいだろうなあ。

だんだん良くなっていく、だんだん良くなっていく。

頭では必要ないと納得できても・・・



断捨離の考え方は、他の本を読んだりメルマガを読んだりしてある程度理解していたつもりで、ここ何年かずっと心掛けて断捨離を進めてきた。しかしなかなか捨てる作業というのは思うように行かないので、この本を読んでみた。 この本では誰もが捨てにくいと思っているようなものを一つ一つ具体的にあげて、こういう心理から捨てられないのだと解説してくれて、捨て方も簡単に示してくれていて、私には大変参考になった。 気持ちの整理と共に物の整理を進めるので、まだまだ時間はかかると思うが、ごきげんな生活をめざして断捨離を続けたい。

ところで捨てていいのかどうかよくわからないもののひとつに

卒業証書、お稽古ごとの師範の免許状 

などがある。とりあえず小学校から高校までの卒業証書は必要ないだろうということで、それでもなんとなく心配なので(←なにが?笑)写真を撮ってから焼却した。けれども、最終学歴の大学のだけはまだ取ってある。もうこの年になったら就職するわけでもないし、万が一就職する場合だってたぶん卒業証書なんて必要ないだろう。とっておいたって誰に見せるわけでもなく、自分でも見ないし、飾るなんて悪趣味なことは絶対しない。

それから師範の免許は持っているんだけれど、もうその趣味をやらなくなってから15年くらい経って、いろいろな知識もすっかり頭から抜けてしまい、今後教えようと思っても教えられそうにない。だから免許状は持っていても、これから役に立つことはない。

もうほぼ捨てる決心は付いている。

でもその前に、友達数名に聞いてみた。そうすると、

「捨てた記憶はないから、たぶんどこかにあると思う。」
「実家に置いてきたから、まだ実家にあるかも。」
「どっかにはあると思う。捨ててないよ。」

と、まあこんな感じで、みんなこういうものの断捨離は意識にも上がっていないようで、まったく手を付けていないようだった。


そんなこともあり、

「がさばるものでもないし、すぐ捨てられる紙だし、もうちょっと取って置いてみようかな」

というのが今の気持ちだ。

頭では必要ないと納得できても、過去に頑張った証(あかし)のようなものを捨てられない自分がまだ心の隅にいるのかもしれない。過去に頑張った証は、形として取って置かなくてもそのうち平気になるだろうから、そうしたら捨てようと思う。今はだいぶそうなりつつある。

だんだん良くなっていく、だんだん良くなっていく。

もう、なんで~~???

私の住んでいるところは田舎の標高の少し高い所だ。普段は特に何も感じないで生活できる程度の標高で、高い山に登った時のように走ると貧血を起こしたようになるとかそんなことは全くない。

移住したての頃、スナック菓子の袋とかカップラーメンを都会から持ってきたとき、袋やフタがパンパンに膨らんでしまうので、「ああ、ここは都会より標高が高いから気圧が低いんだなあ」と思ったりした。


ところで話は変わるが、田舎は空気がきれいなこともあり紫外線がとても強い。だから冬でも日焼け止めが欠かせない。私は面倒なので、洗顔後は化粧水を付けた後日焼け予防も出来るCCクリームというのだけを塗っている。このCCクリームのチューブを開けた時、たまに押してないのに中身がブチュっとたくさん出てたれてしまうことがある。いつもそうなるわけではなく、ほんとにたまに忘れた頃そうなる。

「もう、なんで~~???」と不思議に思っていたんだけれど・・・・・

わかった! 旅行から帰ってきたときにそうなるのだ。これも気圧が違うところから持って帰ってきたせいなんだとしばらくしてからやっとわかった。まあ、たいしたことじゃないんだけれど、これはちょっと困る。


スポーツ選手はよく高地トレーニングというのをするが、標高の高い所に住んでいるということはそれだけで心肺機能が鍛えられるんだろうか?そうだとちょっといいな。


だんだん良くなっていく、だんだん良くなっていく。

私の人生とは無縁のものだったけれど



この本は、「14歳の世渡り術」というシリーズの中の一冊。自分が14才の頃のことを思い出すと、○○になりたいという気持ちはなんとなくあったけれど、その職業が実際にどんなことをするのか、どんな勉強や経験をしておくと役に立つのか、などなど何もわからなかった。あの頃いろいろな職業のこういう本があれば、私の進む道も少し違ったかもしれないなぁ・・・などと思った。

でも、社会に揉まれた充分大人の私が読んで、「なるほどそうだよね~」っと思う部分を、14才くらいの子供が読んでピンとくるのかなぁ?という気はした。

建築家という職業は、私の人生とは無縁のものだったけれど、自分が関わった仕事が目に見える形でずっと残っていくっていう素敵な仕事だなとは思っていたので、なんとなく手にとって読んでしまった。


だんだん良くなっていく、だんだん良くなっていく。

うちの鏡は魔法の鏡なのか!?

かなり長いことあれこれ考えて悩んでいたが、やはり我が家もマイナンバーカードを作ることにした。それで申請手続き自体は自宅からでもパソコンやスマホを使ってできるし、難しいことは何もないのだが、ひとつ問題なのは写真だ。

運転免許証の写真が気に入らないという人は多い。あれは更新時にその場で撮ってもらうので、気に入らなくても我慢するしかしょうがない。しかしマイナンバーカードの写真はスマホで自分で撮影したものでもよいので、自分の気に入った写真を使えるということだった。

ただし、写真の条件を詳しく見ると・・・

顔写真のチェックポイント

もう~顔の大きさから向き、表情、背景、影などなどたくさんの細かい指定がある。色々と工夫して、とりあえず条件に合う写真が家の中で撮れたのだが・・・

撮れた写真がおばあさんみたいじゃないか!!!
( ↑ 実際おばあさんだよ、あんたは。^^)

そうそう私は高齢者には違いないのだが、ふだん洗面所の鏡を見ているときの自分はこの写真より10歳くらい若いつもりでいたのだ。なんで??? 

うちの鏡は魔法の鏡だったのか?(笑)

ま、そんなわけはないので冷静に分析してみることにした。まず、うちの洗面所は薄暗いので細かい部分がよく見えない。(老眼もあるしね)だからお肌すべすべに見えてしまうんだけど、実際は細かいしわがいっぱいある。それからそれから・・・・・わかった!











一番大きい問題は、表情 だ!


申請用の写真というのは真正面から無表情の顔を撮る。そういう顔できれいなのは、若い女優さんやアナウンサーのおねえさんくらいのもので、そういう人でさえ真正面から撮ると左右のバランスが微妙に違って違和感がある場合もある。

また、年取ると全体にいろいろ下がってくるから、涙袋はだら~っとたるみ、ほうれい線やマリオネット線なるものが出現するのだが、無表情ではこれが顕著になる。ところがニッコリ微笑むとぷっくりとした涙袋が復活し、マリオネット線は消滅して口角がキュッと上がるのである。私が毎日鏡で見ていたのは、これだったのだ。

っということで、笑顔ってやっぱり大切なんだなぁ。表情で若くはならないけど、若々しさは感じられるようになる気がした。


だんだん良くなっていく、だんだん良くなっていく。


名前がカッコいいので・・・



こちらは10年くらい前に出版された本。

伊集院さんの本は実は今までに読んだことがなく、名前がカッコいいのと、亡くなった奥様と現在の奥様がお二人ともきれいで性格も良さそうということから、きっと魅力的な作家さんなんだろうなと勝手に想像していた。

すごく簡単に乱暴にまとめると、若い頃は大酒のみでギャンブル好きで女遊びも好きなどうしようもない男のようにご自分では書いておられる。主義主張はちょっと時代遅れな感じがするところも多々あり。でも、近くにいるときっと優しくて素敵な方なんだろう。


だんだん良くなっていく、だんだん良くなっていく。

もう~言いたい放題



こちらの本は、98才の瀬戸内寂聴さんと84歳の横尾忠則さんの、文通形式のエッセイ集のようなものだ。100歳近くなった寂聴さんも80過ぎた横尾さんも文章は驚くほど軽快で、特に横尾さんのはウィットに富んでいて、ところどころハチャメチャなんだけれどニクイほど笑いのツボを押さえた部分もあって、次から次へとよくこんな風に書けるなあと感心した。

寂聴さんの方は昔の三島由紀夫さんとの出会いとか、若い頃の恋人との話とかも出て来て、「へえそうだったんだ・・」と興味深いところもあった。

高齢のためお2人とも体調がすぐれない日が多いようで、愚痴っぽいことも書くんだけれども、これもまた笑いを誘うような軽快な文章で伝えるところが素敵。とにかく言いたい放題なんだけれど、嫌な感じは全くなくて楽しい読み物だった。

私としては、100才までピンピンしていて、100歳の誕生日にケーキの上に100本のローソクを立てて火を点け、それを頑張って吹き消すというのが夢。しかし、吹き消すとき頑張り過ぎて、そこで息絶えてしまうと思います。たぶん。

他人の話を聞いたり、読書をしてインプットするのも大事だけれど、アウトプットすることが脳を活性化するらしい。寂聴さんや横尾さんのように高齢になっても頭の回転を良く保つには、やはり文章を書くということが大事なように思う。

だんだん良くなっていく、だんだん良くなっていく。

母のこと

私の亡くなった母は、私と一緒に住んでいた頃は、特に趣味を持っていなかった。良かったのか悪かったのかわからないが、母は恩着せがましい所が全くない人だったので、当時は私たち家族の母以外の人間はあまり意識していなかったのだけれど、母は家族ひとりひとりの都合に合わせて生活し動いていて、趣味を持つなどということは考えなかったのだと思う。

母は家族のために一生懸命働いているということさえ感じさせないくらいに、恩着せがましくなかった。恩着せがましくなさ過ぎて、ぐうたらにさえ見えた。

母は自分がこまめに働いているところを家族にあまり見せなかった。家族がいるときには、茶の間でのんびりしていて、私たち子供の話を「へえ~~」なんて言いながら呑気に聞いていることが多かったので、私はなんとなく「母はあまり家事をしない人なんだ。」と思っていた。

ところが私はひとり暮らしを始めてみてやっと気が付いた。

「家は掃除しなければホコリが溜まるんだ。母は私たちが見ていない時に、こまめに掃除をしていたんだ。」
「鉢植えは手入れをしなければ元気がなくなるんだ。母は私たちが見ていない時に、水やりしたり花がらを摘んだりしていたんだ。」

こんなことは良く考えれば当たり前のことだけれど、恥ずかしいことに私は25歳のときにひとり暮らしを始めて初めてこのことに気が付いた。

母の遺品整理をして驚いた。趣味に関するものがたくさんあったのだ。母は子供が独立し祖母と父が亡くなった後、ひとりになって自分の今まで出来なかったことをいろいろとやってみたかったのだろう。ハーモニカ、ウクレレ、たくさんのCDやカラオケテープ、水彩絵の具、ビーズアクセサリーの材料、写経の道具などなど。

でも歌うこと以外の趣味はあまり長続きしなかったようで、道具もきれいなままのものが多かった。歌は好きだったようで、「カラオケ教室の発表会があるから来てね。」と言われたときには、大きな花束を持って行った。母の歌は何というか上手いわけでもなく自己満足の発表なので、聞きに行くというより見に行ったという方が正確だ。

本来社交的なためステージ発表などもとても堂々としていて楽しそうだった。よかったね。


だんだん良くなっていく だんだん良くなっていく。

罪悪感のことなど

ある友人がこんなことを言っていた。

「最近知り合った人にね、こう言われたの。『日々の生活は、もう自分の好きなようにやればいいのよ。他人と比べて自分はちゃんとやっていないとか思わなくていいのよ。一日3食の食事を作るのが苦痛だったら、お昼なんかコンビニのおにぎり買って済ませてもいいのよ。』ってね。私、それ聞いたらなんだか楽になっちゃったの。きちんと家事をこなしたり、趣味に打ち込んでいたり、ボランティアをやって活躍していたり、そんな人を見たりすると、自分が何も出来ていないと思って、罪悪感みたいなものを感じてしまうことがあるのよね。でも、こう言ってもらったら、少し気が楽になったのよ。」

そうだったのか・・・

この友人は穏やかな上、聞き上手で、そして聞くだけでなくどんな話題でも話を発展させることが出来る。家だってそこそこ片付いているけれどきれい過ぎず、きちんとし過ぎていなくて、適度に生活感があって居心地が良い。特にこれと言った趣味はないみたいだけれど、歌は上手いし、出かけるのが好きであちこちのお店の情報をいろいろと教えてくれる。恩着せがましくない気配りも自然に出来るということで、今のままで充分他人の役にも立っている。

まあ、こういう罪悪感など感じる必要がなさそうな人に限って、感じてしまうのが罪悪感なのかもしれない。

私はどうかというと・・・こういうことで罪悪感を感じることはあまりない。

しかし、仕事を辞めて専業主婦の生活になった当初、『自分は世の中の役に立っていないなあ。。。』ということをよく感じていた。私の場合、これは罪悪感とは違って、充実感がないなあという感じだ。日々の生活の中でも、小さなことでよいから『今日はこれをやりました。』っていえるようなことがないと、なんとなく虚しさを感じてしまう。また、身体を動かしていないと、血の循環が悪くなるせいか、体調が悪くなってしまうことが多いので、罪悪感からではなく体調を良くしたいから動いているようなところもある。

なんだかまとまらない話になってしまったけれど、とにかく他人と比べてどうこう考えることは、あまりいいことではないのは確かだ。自分で納得のいくように好きにしていきたい。

だんだん良くなっていく、だんだん良くなっていく。

停電・私の頭も停電?

昨日停電がありました。これは計画的な停電で、事前にハガキでお知らせが来ていました。ハガキには午前9時50分から12時までの予定と書いてありました。その日の朝までは停電のことを覚えていたので、なるべくテキパキと行動し、電気を使う家事は早めに終わらせていました。家事が一段落してやれやれと思い、しばらくのんびりとテレビなど見ながらコーヒーを飲んでいると・・・

プチッ! カチッ! 

などという音と共に、いろいろな電気製品が止まりました。

あ!そうだった。停電するんだったっけ。停電が始まる頃には、すっかりそのことを忘れてしまっていました。トイレに行っておくべきだったかな? と思って行ってみると、ちゃんと流れます。便座が冷たいとか、ウォシュレットが使えないとかいうことはあっても、流すだけなら停電でも問題なかったので助かりました。

テレビも見られないし、パソコンでもやろう。バッテリーに充電してあるのだから、しばらくは出来るだろう・・・っと思ってパソコンを立ち上げたけれど・・・ルーターが停電で使えないから、インターネットは繋がらないのでした。

じゃあ、ちょっとお出かけしてこようかな・・・あ!その前に携帯の充電が切れてるから、ちょっとだけでも充電しておこうっと。あれ!? 充電器にのせてもランプが付かない・・・なんで?壊れたのかな?・・・・って、しばらくプラグを抜き挿ししてみたり、携帯がきちんと充電器にはまっているか確認したり頑張ってやっていたんですよ・・・・。 


・・・っと、しばらくして気が付きました・・・・・


  あ! 停電だった。。。


ほんと我ながらアホだと思いました。3歩歩いて停電を忘れてました。
そしてお出かけして、お昼過ぎに帰宅すると・・・


  無人のはずの家の中から男の人の声が・・・


停電で消えたテレビの電源が入ったままだったので、留守中に停電が終わってテレビが付いちゃったんですね~~。


・・・っということで、停電のことを何度も忘れる平和な一日でした。

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だんだん良くなっていく、だんだん良くなっていく。

いつの間にか変わっている話

お料理のことなのだが、昔当たり前だったことが最近は違っていたりすることがよくある。

*例えばゴボウのあく抜き*

ゴボウは酢水に入れてあく抜きしてから使うのが常識だった。それをやらずにお料理するなんて、無知もいいところ、主婦失格みたいに言われそうなほど当たり前のことだった。

ところが最近は、ゴボウのあく抜きをするのはNG!あくはポリフェノールだかなんかで大切な成分だし旨味もあるから、そのまま調理するのがいいという情報がよく発信されている。

そこで私もあく抜きしないゴボウと人参で金平を作ってみたら・・・・・あら!すごく美味しいじゃない!?とビックリ。

*例えば玉ねぎを水にさらす*

玉ねぎを生で食べるときには、からみが強いので水にさらすというのが、これも以前は当たり前だった。

ところが最近は、水にさらすとビタミンCなどみんな流れ出してしまうから、あまりやらない方がよくて、スライスしたあとしばらく空気にさらしておけば、からみは飛ぶからその方がよいという専門家の意見が聞かれる。

玉ねぎ自体も昔ほどからくなくなっているような気もするし、私の味覚も年取っていくらか鈍くなっているのかもしれないが、確かに水にさらさなくても、生で美味しく食べられるんだなあーーっと思った。

お料理に限らず、健康に関する情報でも、昔良いと言われていたことが、今は良くないと言われるようになってしまったことも結構ある。また、その反対に、昔は良くないと言われていたことが、別に悪くないと言われるようになったこともある。

面白いものですな。

だんだん良くなっていく、だんだん良くなっていく。



ベッドの上の天井の貼り紙

およそ11か月ぶりの投稿。具合が悪かったわけではなく、なにか大変なことがあったわけでもない。書きたい気持ちにならなかったということだ。最近いろいろと良くなってきたことがあるので、久しぶりに書いておこうと思う。

実は去年の9月頃、ベッドの上の天井に貼り紙をした。そこに書いてあるのは、

「笑顔で気持ち良く起きる 感謝して眠る
   だんだんよくなっていく


という内容だ。

心理学や脳科学の様々な論文から得た知識を伝えるユーチューブの番組があって、私はそれをよく見ているのだが、その中で気になることを紹介していた。すご~~く簡単に要約してしまうと・・・

「朝どのような状態で起きるかによって、一日の充実度が変わってくる。笑顔で気持ち良く起きることによって人間関係もまた良好になっていく。」

「不眠を解消する方法として、寝る前にその日のことに関して、人や物、出来事なんでもよいので、感謝するというのがある。その結果、精神が安定し不安が取り除かれ、安眠できるようになる。」

簡単にしすぎという気もするけれど、ざっとこんな内容だ。これはお金もかからず、ほとんど努力もいらない。ただし、忘れてしまいやすいことだなと思った。そこで、ベッドの上の天井に貼り紙をしておけば、起きた時と寝るときに必ず目に入るから、忘れなくていいんじゃないか・・・ということで、やってみたのだ。

まず、朝目が覚めると天井の貼り紙が目に入る。そこで取りあえずニコッと笑ってみる。起きたらダンナに「おはよう~~♪」っと元気に言ってみる。これを何日かやってみた。そうしたら、それだけでダンナの態度が変わってきたのにはビックリした。また自分自身の気持ちの持ちようも変わった。朝の気分ってなんなのだろう。気持ちよくしようと思えば、こんなことで簡単に気持ち良くなるとは・・・朝気持ちよいと、いろいろなことをやってみたくなる。家事がはかどると更に気分が良くなる。いい循環だ。

また、「感謝して眠る」の方は、更にもっと効果抜群である。感謝するのはその日会った人のどんな小さなことでもいい。誰にも会わなかったら、自分の膝や腰が痛まなかったことに感謝したり、食べものが美味しく食べられたことに感謝したり、テレビでいい話を聞けたことに感謝したり、庭の花がきれいに咲いて目を楽しませてくれたことに感謝したり、本当にどんな些細なことでもいいので、思いつくままに感謝していると、いつの間にか寝てしまう。また、夜中の途中覚醒のあとの不眠もほとんどなくなった。

このように寝る前に意識して感謝するようになったら、なぜか精神が安定してきて不安や不満がだんだん少なくなってきた。人に対する不満は言い出すとキリがないものだと思う。その前にまずその人に対して感謝する事柄が頭に浮かんでくると、なんだかそれほど不満な気持ちが大きくなってこなくなった気がする。

ものごとを続けるのは難しいことが多く三日坊主になりがちだけれど、天井の貼り紙のお蔭もあって、起きるときと寝るときのこの習慣は、もう半年以上続いている。

だんだん良くなっていく、だんだん良くなっていく。

洗面ボールの汚れ落としとコーティングのその後

洗面ボールをキレイにしてコーティング剤を塗ったのは、夫が泊まりで出かけていた日であった。夫が在宅しているときにやると、6時間乾かさなければならないのに間違って水を出されてしまったりする可能性があるような気がしたからである。

翌日夫が帰ってきて洗面所に手を洗いに行ってビックリするかなと思って、コーティングしたことは言わないでおいた。しかし、手を洗ってリビングに戻ってきても何も言わない。

「洗面所、何か変わっていなかった?」

と聞いてみても、

「え?、何か新しいもの買ったの?」

という反応。

「洗面ボール、汚れ落としてコーティングして朝から午後3時までかかったんだよぉ~~、何で気が付かないかなあーー。」


「あ~~、ほんとだ!きれ~~~~い!水はじいてるし。すごいね。」


というような具合で、苦労してきれいにしても、言われるまで気が付かないって、なんだかなぁ・・・・



しかし、その後数日間、朝、顔を洗い終わると、

「洗面ボール、ホントきれいだね~~。ツルツルピカピカだね!」

と喜んでいた(気を遣っていた?^^)ので、ま、いいかな。


だんだん良くなっていく、だんだん良くなっていく。

洗面ボールの汚れ落としとコーティング

洗面用の家庭用コーティングセットというのを売っている。



それで、コーティング作業自体はとても簡単で1分もかからなかったのだが、その前にセットの中に入っている研磨剤で汚れと水垢を落とすのがとても大変で・・・途中何度も休憩したけど、6時間くらいかかってしまった。

汚れはそれほど見た目にひどくはなかったのだけれど、一度コーティング剤をぬってしまうともう汚れは固まってしまって絶対落とせなくなってしまうと思ったので頑張った。途中何度も「ああ、こんなこと始めなければよかった。」と思いながら擦った。全体的にうっすらと汚れているときにはそれほど気にならなかったのだけれど、一か所がきれいになると汚れている他の場所がやけに目立ってくる。

朝から始めて、途中お茶を飲んだりお昼ご飯を食べたりしたけれど、一応納得のいく状態になったのは午後3時だった。

そのあときれいに水洗いして研磨剤を洗い流し、水分を拭き上げて完全に乾かしたあと、コーティング剤を一気に塗った。


お~~~、新品のようにツヤツヤになりましたよ。


コーティングは3年位持つそうで、汚れが付きにくくなるとのこと。


・・・・・でも、3年後はもうやりたくない。・・・と、今は思っている。(^^;



だんだん良くなっていく、だんだん良くなっていく。

ちょっとだけ嬉しかったこと

私はパソコンデスクのイスとしてバランスボールを使っている。もう3年くらいそうしているので、慣れてしまって辛いことは全くない。

もともとは母が持っていたもので、母はいろいろなことに興味を持つのだが、結構飽きっぽいところもあって、要らなくなると私に「ねえ、これ要らない?」というので、このバランスボールももらってきたもののひとつだ。

バランスボールを使った体操もいろいろあるようだが、そういうのをいちいち覚えて毎日やるのは面倒なので、とりあえずパソコンの前に置いて毎日座ってみることにした。

座っているのが辛くなるかな・・・と思ったのだけれど、それがそうでもなくて、意外と快適だ。時々左右にお尻を動かしてみたり、上下に弾んでみたり、前後に動いてみたりする。これは意図的にやっているというより、なんとなく無意識にやっている感じ。

バランスボールに乗っていると、体幹が鍛えられるとか、腹筋が鍛えられるとか、姿勢が良くなるとか、骨盤の歪みが矯正されるとか、いろいろいいことがあるようだ。

それで、何がちょっとだけ嬉しかったのかって?

実はテレビを見ていたら、ノーベル賞をもらった山中教授が出ていたのだけれど、教授が使っているイスというのが、なんとバランスボールだったのだ。


お~~~、私と同じじゃん!


尊敬する山中教授と共通点が1つあったというのが、ちょっとだけ嬉しかったのだ。


ほんと、どうでもいいような話題ですみません。


だんだん良くなっていく、だんだん良くなっていく。

水回りの掃除のこと

私は水回りの掃除が苦手だ。だからと言ってサボっているわけではなく、自分なりのやり方で掃除しているのだけれど・・・・・

水回りの掃除が得意な知り合いの話では、とにかく水滴を付けたままの状態を作らないことが一番掃除を楽にするとのことだった。その人は夕食後食器を洗って拭いてしまった後、シンクの水滴も全部キレイに拭いて、毎回水切り篭の水分もきれいに拭くのを習慣にしているとのこと。


「水滴を付けたままの状態を作らないこと」・・・これがポイントらしい。


そうは言ってもねえ・・・洗面所の水道も、キッチンの水道も一日に何度も使うわけで、その都度こまめに拭くのはとっても面倒。しかも、それを夫にもしてもらうとなるとそれはもう無理な話だ。


っということで、ふと気が付くと洗面ボールがなーーんとなく水垢で汚れている。


最近はゴミ屋敷をプロの業者がかたずけてきれいに掃除する番組をテレビでよくやっているけれども、そういう家の水回りは恐ろしく汚い。にも拘らず、お掃除のプロにかかるとトイレや洗面ボールが美しく磨き上げられてコーティング剤でピカピカになる。

本当にすごい!私もどうにも気力がなくなって、お掃除に手が付けられない精神状態になったら、1か所1万円らしいからプロに頼めばいいやと思いつつ(精神的な逃げ道を作っておかないとね)、まだ今は自分で頑張る気力はなんとかあるので、本日まるまる一日かかってやりましたよ。


洗面ボールの水垢落としとコーティング

その話はまた後日書きます。


だんだん良くなっていく、だんだん良くなっていく。

続々・ウォーキングの途中で出会った人の話

これは前回の内容の続きです。

私は本を読むのは好きだが、短歌にはほとんど興味がなかったので、今まで「サラダ記念日」くらいしか読んだことはなかったけれど、せっかく頂いたのでその短歌集を読んでみることにした。

その感想は?

予想に反して(と言っては失礼ですが)、とても心に響く短歌がたくさんあって、何度か読み返してしまった。細かいことはここに書けないけれど、その人の人生はいろいろと波乱万丈でたくさんの困難に見舞われていた。それでもその時々の気持ちをしっかりと見事に短歌にしていた。また、子育て中の日々のキラキラした出来事なども、私の表現力が乏しくてうまく言えないのがもどかしいが、柔らかくて暖かで時に哀しい瑞々しい短歌にしていた。

ただウォーキングの途中で知らない人に道案内をしただけなのに、こんな短歌集に出会うことが出来たことになぜか少し戸惑っている。

平凡な日常の繰り返しの中にも、こんな予想もしなかったことが起きるんだなあ。


だんだん良くなっていく、だんだん良くなっていく。

続・ウォーキングの途中で出会った人の話

※ この記事は前回の内容の続きです。

私はその時本能的に「この人は大丈夫。」という気がしたのだ。だから車に乗って案内してあげた。

しかしながら、後から考えたのだけれど、こういう状況で知らない人の車に簡単に乗ってしまうというのはどうなんだろう。日本は安全と言っても、誘拐、暴行、ひったくりなどなど事件に巻き込まれる可能性はないとは言えない。

まあ今回の場合、相手は女性だから暴行はないと思う。男だったとしてもどうせ狙うならもっと若い人を狙うだろう。

私は手ぶらでウォーキングの途中だったからお財布は持っていなかった。銀行から出てきたわけではないし、ひったくるものは何もないのは明白だろう。

私は有名なお金持ちの家の奥様ではないし、見た目も地味な一般庶民だから、誘拐しても身代金は期待できないから誘拐なんかされるわけがない。

こういったことを、たぶん私は瞬時に判断して車に乗って案内したのだと思う。忙しいわけでもないし。

彼女は本当に嬉しかったようで、私に本を1冊くれた。彼女の短歌集だ。私は一瞬、心の中で「あ、自費出版の短歌集なんてほしくないんだけど・・・・・」っと正直思ったし、道案内をしたくらいでこんな高価なもの(1,200円)をもらうわけにはいかないなあーっと思い、丁重に何度かお断りしたのだけれど、どうしてもくれるというので、仕方なく受け取った。


※ 話が長くなるので、またまた明後日に続きます。

だんだん良くなっていく、だんだん良くなっていく。

ウォーキングの途中で出会った人の話

ウォーキングの途中で知らない人と話したというもう一つの話。

私はいつもだいたい1時間くらい歩いている。それで、先日はもうあと5分くらいで家に着くという場所で車に乗った人から道を尋ねられた。訪ねられた場所はウォーキングのコースの途中にあるのだが、うちから30分くらい歩かないといけない所だった。いわゆる名所旧跡という場所である。

私は頑張って言葉でそこまでの道を説明したのだけれど、田舎の道は目印となるようなものはあまりなくて、信号とか商店なんかもない。だから説明する方もされる方も結構大変なのだ。結局よくわからないようなので、どうしたものかと困ってしまった。

車に乗っていた人は私よりちょっと年上と思われる品の良い女性だった。なんでも全国規模の俳句の会に所属していて、その会が発行する雑誌に載せる記事を書くにあたり、その記事と一緒に載せる写真を撮りにその場所にどうしても行きたいのだという。

「私は説明が下手なので他の人に聞いて下さい。」と言いたかったけれど、私の他にこの辺を歩いている人なんていないのだ。もう仕方がない・・・っということで、

「じゃあ、一緒に車に乗せてもらってそこまで案内しましょうか?ただし歩くと30分位かかるので帰りはここまで送ってほしいのですけれど、それでよければ・・・・」っと言ってみた。

その女の人はとても喜んで、「是非お願いします!」と言って私を車に乗せた。それで私は目的の場所まで案内し、写真を撮り終わって約束通り車で送ってもらった。


※ 話が長くなるので、明後日に続きます。

だんだん良くなっていく、だんだん良くなっていく。

山椒の葉の佃煮

庭の隅に山椒の木が植えてある。実家を取り壊し更地にした時に、そこに植えてあった様々な植物を今の家の庭に持ってきて植えた。それらはみな母が買って植えたもので、なるべく私の手元で引き続き育てたいと思ったのだった。

しかし、ここは寒冷地なので、残念なことに冬を越せずに枯らしてしまったものもいくつかある。

山椒の木は冬は地上部が全部枯れたようになってしまうので心配だったが、春になるときれいな葉が芽吹く。昨日はその若くて黄緑色のまだ柔らかい葉を25gほど摘んで佃煮を作った。

まず茹でてアクをとりザクザクッと切った後、砂糖、みりん、醤油で味付けしフライパンで炒る。鰹節を混ぜて火を消した後、白ごまを混ぜる。

ほんの少ししかできないけれども、ちょっとだけ刺激的な春の味という感じなので少しでいいのだ。

こんなものを自分で作って食べるようになるとは、田舎に来るまで夢にも思わなかった。こういうものを季節ごとにいろいろ作って味わうのも小さな幸せだ。



だんだん良くなっていく、だんだん良くなっていく。

連休のこと

私の住んでいる市内や隣接する市には別荘地がいくつかあるので、連休やお盆休みの期間は車の量が普段の倍以上になる。

また、普段利用しているスーパーの駐車場も県外のナンバーの車が増えて、食料品の品揃えなども変わってくる。バーベキューの材料になりそうなもののセットとか、豪華なオードブル盛り合わせとか、田舎の年寄りがあまり買わないようなものが並んだりする。ビールやワインなんかも県内の有名な観光地のちょっとお高い地ビールとかそういう珍しいものが増える。

うちのすぐ近くにはすごく有名な観光地はないから、車も迷惑なほど増えるわけではないので、こういう賑わいはそれ程いやではない。なんとなく活気づいてちょっと嬉しいし、買わないけれど珍しい食料品や飲み物を見るだけでも楽しい。

そんな連休も昨日で終わった。連休が終わるといよいよ畑作業が本格始動だ。

だんだん良くなっていく、だんだん良くなっていく。


長ネギ

去年、この記事に書いたが、今年もたくさん植える予定だ。

いつもは苗を買ってきて植えているのだけれど、この苗というのは鉛筆位の太さにまで育ったものだ。種を蒔いてから40~50日でこれくらいの太さになるのだと思う。(たぶん)今年は種を買ってきて苗作りから始めてみた。

しかーーし・・・まだ細いんですよね・・・(鉛筆どころか鉛筆の芯くらいの細さ)

例年は4月下旬に植え付けて、だいたい10月頃から食べ始める。12月下旬には寒さで土が凍り掘れなくなるので、その時期が近づくといっぱい掘って斜め切りにして冷凍する。こうすれば鍋や汁物に入れて冬の間いつでも食べられるのだ。冬の間は地上部が枯れたようになってしまうし土が凍って掘れないため食べられないが、春になるとまた元気になるので3月の下旬から4月上旬にはまた少し食べられる。ただ4月も中旬を過ぎるとネギ坊主が出来てネギは固くなりまずくなるので、たくさんのネギを冬越しするのは良くない。

今年はいつ頃植え付けが出来るだろうか。鉛筆位の太さになるのは・・・・5月下旬か?

そうなると食べ始めるのが11月になってしまう。冷凍でないネギを食べられる期間が短くなってしまう。

っということで、買ってきましたよ。長ネギ苗(今年は50本だけね。)。いつも通りの時期に買ってきた50本を植えて、あとは時間差で5月末に自分で育てた苗を植えることにした。

今日もどうでもいい話だったと思うけれど、私は毎日こういう日々の小さなことを丁寧に考えながらやっていく今の生活が結構好きかもしれない。

だんだん良くなっていく、だんだん良くなっていく。

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