だんだん良くなっていく


言葉には言霊と言って力があるそうです。
毎日こう言っていれば、そのうち本当にそうなるんじゃないかな?

身辺整理

頭では必要ないと納得できても・・・



断捨離の考え方は、他の本を読んだりメルマガを読んだりしてある程度理解していたつもりで、ここ何年かずっと心掛けて断捨離を進めてきた。しかしなかなか捨てる作業というのは思うように行かないので、この本を読んでみた。 この本では誰もが捨てにくいと思っているようなものを一つ一つ具体的にあげて、こういう心理から捨てられないのだと解説してくれて、捨て方も簡単に示してくれていて、私には大変参考になった。 気持ちの整理と共に物の整理を進めるので、まだまだ時間はかかると思うが、ごきげんな生活をめざして断捨離を続けたい。

ところで捨てていいのかどうかよくわからないもののひとつに

卒業証書、お稽古ごとの師範の免許状 

などがある。とりあえず小学校から高校までの卒業証書は必要ないだろうということで、それでもなんとなく心配なので(←なにが?笑)写真を撮ってから焼却した。けれども、最終学歴の大学のだけはまだ取ってある。もうこの年になったら就職するわけでもないし、万が一就職する場合だってたぶん卒業証書なんて必要ないだろう。とっておいたって誰に見せるわけでもなく、自分でも見ないし、飾るなんて悪趣味なことは絶対しない。

それから師範の免許は持っているんだけれど、もうその趣味をやらなくなってから15年くらい経って、いろいろな知識もすっかり頭から抜けてしまい、今後教えようと思っても教えられそうにない。だから免許状は持っていても、これから役に立つことはない。

もうほぼ捨てる決心は付いている。

でもその前に、友達数名に聞いてみた。そうすると、

「捨てた記憶はないから、たぶんどこかにあると思う。」
「実家に置いてきたから、まだ実家にあるかも。」
「どっかにはあると思う。捨ててないよ。」

と、まあこんな感じで、みんなこういうものの断捨離は意識にも上がっていないようで、まったく手を付けていないようだった。


そんなこともあり、

「がさばるものでもないし、すぐ捨てられる紙だし、もうちょっと取って置いてみようかな」

というのが今の気持ちだ。

頭では必要ないと納得できても、過去に頑張った証(あかし)のようなものを捨てられない自分がまだ心の隅にいるのかもしれない。過去に頑張った証は、形として取って置かなくてもそのうち平気になるだろうから、そうしたら捨てようと思う。今はだいぶそうなりつつある。

だんだん良くなっていく、だんだん良くなっていく。

ハンカチの話

何年にも渡って要らないものの処分を進めていることについては以前にも何度か書いているが、今日はその中のハンカチ類の話。

今はどうなのか知らないけれど、私が小中学生だった時代は保健委員が衛生検査というのをやっていた。クラスの生徒がハンカチ、チリ紙(今はティッシュペーパーですね。)を持っているか、爪をきちんと切ってあるかをチェックしていくというものだ。

私はとてもまじめな生徒だった(というか女子はほとんどそうだったと思う。)ので、このような検査で引っかかるのは恥だと思って、ハンカチを常時携帯するという習慣が身に付いた。

この習慣は今でも続いていて、ハンカチとティッシュは常にバッグの中に入っている。

仕事をしていた頃は、毎日新しいハンカチを持っていくのが面倒だったので、10枚くらいまとめて持っていってデスクの引き出しに入れておき、毎日1枚ずつ使って使ったものを持って帰るようにしていた。そして引き出しのハンカチが1~2枚になったらまた家から10枚持ってくるのだ。

こうすると持ってくるのを忘れることもなく、使用済みハンカチをまた使うなどということもない。

こんな風に毎日ハンカチをよく使っていたのだけれど、なぜかハンカチはどんどん溜まっていく。職場では職員の移動や退職などがあると、お約束のようにハンカチやハンドタオルが配られるからだ。毎年10枚はもらえた。それもお礼の品といった意味合いのものだから、ブランド物などが多く生地も良くて縫製もしっかりしているから、長持ちしてしまう。

今では勤めを辞め外出の機会もそれほど多くないので、ハンカチの出番は少なく未使用のものがたくさん家に眠っている。

しかーーし、最近はハンカチを持たない人が多いとのことで、オークションに出してもなかなか売れない。巾着袋を作ったりもしたが、袋だってそういくつもいるものではない。キレイなものは額に入れて飾るとか、タベストリーにするとかもいいかもしれないけれど、そんなにたくさんは飾れない。

ハンドタオルならまだ台拭きにすることもできる(これだってちょっと勿体ない気もするけれどもそうしている)が、ハンカチは薄すぎてそれもダメ。

どうしたらいいかなあ・・・・大量のハンカチ。


だんだん良くなっていく、だんだん良くなっていく。

親の身辺整理

私のここ数年の(もう10年くらい毎年)『今年の目標』の一つは、身辺整理だ。何に関しても手際よくパパッと物事を済ませられる人はスゴイなと思う。私は何をするにもとても時間がかかる。丁寧にやっているから時間が掛かっている・・・というわけでもないような気もする。時間をかけてやっているから後悔のないように身辺整理が出来ているかというと、そうでもなくて、いろいろな思いが頭をめぐる。

その上最近親の持ち物の整理も始めた。一昨年亡くなった母の持ち物の整理だ。母は昭和一桁の人間の割りには、どちらかというと要らないものはドンドン捨てる人であったが、それでも思い入れのあるものとか、お気に入りのもの、ある程度値の張るものなどは簡単に処分できなかったらしく、様々なものが残されていた。

自分の身辺整理も大変だけれど、亡くなった親のものの処分と整理というのは、更に精神的に難しい。私の友人の中には、

「身辺整理なんかしないの。自分が死んだら、みんなまとめて業者に頼んで捨ててくれって子供には言ってあるの。」

という人もいる。しかし、そう言われても子供は「はい、わかりました。そうします。」って実際に簡単に出来るのだろうか。もし、そうするとしても、心の中では大変な葛藤があるのではないかと思う。

親の残したものからは、様々な思いが伝わってくる。自分と親との過去のいろいろなシーンが見えてくる。今まで知らなかった親の思いも思いがけず感じられたり、本当にこれは精神が揺さぶられる作業だ。ただ、この作業は子供にとって必要な気もする。

じゃあ、親は生前に身辺整理をすべきなのか、しなくてもよいのか?

私の場合は、親がある程度やってくれていたのが良かったと思う。全然やっていないと、不要なもの、どうでもいいゴミのようなものの多さに、私はあきれるばかりで嫌になっただろう。また、すべて身辺が整理しつくされていたら、私は楽だったかもしれないけれど、それはそれでとても辛かったかもしれない。

親の残したものがあっても無くても、もちろん親を亡くしたときの言葉にしきれない複雑な気持ち(悲しさとか寂しさなどと、ひとまとめに出来ないような感じ)はあるのだろうけれど、親が残したものの整理と処分の時間は、そういうものを感じ尽くして、自分の気持ちに折り合いを付けるために必要な時間のような気もする。

※ これは私の個人的な感想です。人それぞれだと思います。


だんだん良くなっていく、だんだん良くなっていく。



想像を絶する話

インターネット上には便利なサイト、楽しいサイトなどいろいろある。それで、会員登録するわけだが、そのうち使わなくなってしまうものなども多い。

私は基本的に月々の会費がかかるような登録はしないことにしている。万が一の事故や病気などで頭が今のように機能しなくなった場合、自分でそれを停止することが出来ないと、ずーーっとお金がかかってしまい、家族などにも迷惑がかかってしまうと思うからだ。

しかしながら、無料と言っても、使っていないサイトへの登録をずっと放置しておくというのもなんだかスッキリしないので、少し整理した。その中に、小説やエッセイを発表するサイトがあった。

もう15年以上前になると思うが、昔の思い出とか日々の出来事などを、短いエッセイのような形にして、novelist.jpとかいうサイトで発表していた。細々と載せていたので、そのころ読んでくれた人もあまりいなかったと思うけれど、楽しんで読んでくれた人も数名いた。もうそのサイトへの登録は解除してしまったのだけれど、そのころ載せたエッセイもどきは、手元に保存しておくことにした。

・・・で、それを読み返してみたら、どうでもいいようなことを書いてあったんだけれども、結構笑えた。

・・・ということで、その中からひとつここに載せてみます。

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   想像を絶する話(昔novelist.jpに載せたエッセイより再掲載)
    ↓
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スパイスや調味料が減らない話

料理研究家などの人の家のキッチンがテレビや雑誌で紹介されることがある。そういうとき、ものすごくたくさんのスパイスや調味料が、棚にきれいに並んでいるのを見ることがある。

すごいなあと思う。あれだけたくさんのスパイス類や調味料類を、賞味期限切れにせずにいつも使い切っているのだろうかと、疑問に思うことしばしばである。

私などは、シナモンとナツメグの2本だけでも賞味期限切れにしてしまい、期限が切れた後もまだ使っている。(賞味期限とは美味しく食べられる期限であり、過ぎてもすぐに食べられなくなるわけではないとのことなので。)最近、どうしても使ってみたくなって、クミンも買ってしまったため、3本になってしまった。

調味料にしても同じで、醤油、砂糖、塩、コショウ、酒、みりん、酢などの定番調味料は、よく使うのでよいのだが、オイスターソース、豆板醤、コチュジャン、チリソース、ナンプラーなどは、使えば美味しい料理になるけれども、しょっちゅうそればかり使うものでもないため、気が付くとどんどん賞味期限が迫ってきてしまっているというようなことになる。

以前にも書いたように、私は捨てるということに罪悪感を持ってしまうので、こういう賞味期限が迫っていたり過ぎていたりするものが溜まってくると、心の底の石としてそれらが重くなってきてしまう。

・・・ということで、しばらく中華料理っぽいもの、エスニック料理っぽいものが続きます。
暑くてサッパリしたものが食べたいなんて、言われませんように。(笑)


だんだん良くなっていく、だんだん良くなっていく。

鍋が16個ありますけど、なにか?

物を減らすことを心掛けていても、なかなか減らせないものもある。私の場合、まず鍋が減らせない。夫婦二人暮らしなのだから、鍋など中くらいのと小さいのと3~4個もあればよいという人もいるけれど、私は数えてみたら16個持っていた。そしてそのどれもが使い道がだいたい決まっていて、ただもったいから捨てないでとってあるとかいうものではないのだ。

普段よく使うものだけだと、6~7個だけれど、豆を煮るときはこれ、ジャムを作るときはこの大きさのこれ、ジャムを入れる瓶の煮沸消毒用には大きいこれ・・・・というように出番が年に数回の物もあるけれど、どれも使っているのだ。

最近は年老いた親の家が荷物に溢れていて、その断捨離に苦労しているという人の話をよく聞く。娘が「こんなに要らないから捨てようね。」というと、「いや、それは使っているのよ。」と言って捨てさせないので困っているとか・・・。

もし私に娘がいたら、こんな風に断捨離バトルになりかねない鍋の数だと思う。しかしながら、私は使わなくなったら、鍋など簡単に捨てることができると思う。ジャムを作らなくなったら・・・、豆を煮なくなったら・・・・、鍋を捨てることなど簡単だ。

鍋は粗大ごみ扱いではないから、スティールやアルミの資源回収の時に簡単に捨てられる。だから鍋に関しては、今はこの数でいいのだと自分で納得している。

年取るほどに自分で管理できる範囲がだんだん狭く小さく少なくなっていく。今は出来ても、ふと気が付いたら出来なくなってしまっているのが老化なのだと思う。だから私の場合、身辺整理はすでにいろいろと進行中だが、今の生活が楽しめる状態は保ちたい。


鍋が16個ありますけど、なにか・・・・・?
80歳になっても90歳になっても、鍋は一瞬で捨てられますから!
(・・・・あ、一瞬というのはウソです、ゴミ置き場まで車で2分かかります。)

だんだん良くなっていく、だんだん良くなっていく。


捨てることさえ簡単でないものもある

要らないけれども簡単に処分できないものというのがある。ひとにあげることもバザーに出すこともオークションに出すこともできない、そして捨てることさえ簡単でないものがある。

布団などの寝具類もそういうもののひとつだ。今使っている冬布団はそれほど古いものではないが、去年の晩秋寒くなってきて掛けてみたらとても重く感じて、「ああ、軽くて暖かな羽毛布団が欲しいなあ。」と思った。

しかし羽毛布団の選び方もよくわからなかったので、なんとなく重いのを我慢しているうちに春になってしまった。冬の布団を買うにはやはり秋とか冬の方がいいのだろうと思うので、今度の冬が来るまでによく研究しなければと思っている。

そしてはれて羽毛布団を買ったあかつきには、今使っている重い冬布団を処分しなければいけないのだが、他人の使っていた布団というものは、それがそれほど古いものでなくきれいな状態のものであっても、なんとなく使うのはためらわれるものかもしれない。オークションを見ても、新品以外の布団は出品されていないようだ。ある買い取り業者の人に話を聞いたことがあるが、家具の買い取りでは、ベッドだけはどんなにいいものであっても買い取れませんとのことだった。

捨てるにしても普通のゴミのようには捨てられない。以前住んでいた都会では、役所で500円でシールを買い、それを粗大ごみに貼って役所に連絡してから家の前に出しておくと、取りに来てもらえた。それも結構面倒臭いと思っていたが、田舎では取りになど来てもらえない。自分で車に積んで処分場まで運ばなければならない。

たぶんこういう一連の手続きや作業は年を取れば取るほど面倒になったり、頭が回らなくなったりしてできなくなるのだろうなと思う。だから出来るうちに少しずつでも億劫がらずに身軽にしていくことは大切だなと思う。

だんだん良くなっていく、だんだん良くなっていく。


収集癖との別れ

今思うと不思議なことだが、若い頃は何かを集めることに楽しみを見つけていた。

小学生の頃から切手を集めていた。それ程熱心にではないけれども、思いつくと買っていた。その後しばらく興味を失っていたが、切手集めが趣味の職場の上司が毎回私の分をついでに買ってきてくれるようになり、切手収集を再開した。

小学生の頃は絵葉書も集めていた。父が地方へ出張で出かけるたびに、絵葉書をお土産に買ってきてくれたこともあり、集め始めたのだ。

高校生の頃からは、本に挟むしおりを集め始めた。本を買うと本屋さんがくれるものが素敵だったので集め始めた。その後旅行先でも買うようになった。

就職してからはハンカチを集め始めた。3月にもらう機会が多かったのがきっかけだ。

結婚してからはコーヒーカップを集め始めた。結婚披露宴の引き出物で何セットかもらったのがきっかけだ。

このようにいろいろなものを集めたのであるが、50を過ぎた頃から集めることにまったく興味がなくなってしまった。むしろ物をたくさん持っていることが心の負担になってきた。

結局コーヒーカップ以外のものは、処分してしまった。だからと言って、集めていたことを無駄だったとは思わない。集めていた頃は1つ1つの美しいものを眺めて、ほんの少しは美的センスとか感性が磨かれたかもしれない。もしそうでなかったとしても、とても楽しかったのだからそれだけでも良かったのだと思う。

使わずに眺めるだけだったたくさんのコーヒーカップは、田舎に来て仲良くなった人たちとお茶するときにどんどん使うことにした。「毎回違うカップが出てきて、喫茶店みたいね。素敵だわ。」と言ってくれる人が多い。

いっぱい持っているのを自慢していると思われないか、ちょっと心配する気持ちもあったけれど、そんな風に思う人には嫌われてもいいやという気もするので、あまり気にしないことにする。いろいろなカップでお茶を飲むことを一緒に楽しんでくれるような人と仲良くしたい。

そうしてもっと身の回りを整理しなければいけなくなってきたときには、コーヒーカップも楽しい時間をたくさん作ってくれて、役目を果たし終えたということで、気持ちよく手放すことが出来るに違いない。

だんだん良くなっていく、だんだん良くなっていく。

処分する過程をも楽しむ

身辺整理をしていて出て来る捨てられないものの一つに、布地のハギレやあまり毛糸などがある。

これを「捨てる」以外の方法で処分するのにどうしたかというと、小物を作ってインターネットの手作り品販売サイトで売ってみた。

手作り品の販売サイトは、一番登録者数が多いM・・・とか、サイトイメージがオシャレでセンスのいいC・・・とか、手芸品の登録が多いT・・・とかいくつかあるが、私はその中の一つで店を出した。店を出すと言っても初期投資のお金はかからず、品物が売れた時点で何パーセントかの手数料を取られるだけた。お金のやり取りはすべてサイトの方でやってくれて、売上金は1か月分とか3か月分とかをまとめて振り込んでくれる。(売上金が振り込まれる時点で手数料が差し引かれる。)

私はまず余り毛糸でハンドウォーマーを作った。余り毛糸はそれぞれ少しずつしかないので、いろいろな色の組み合わせを考えたり、アラン模様を編込んだりしながら作った。最近はスマホを使う人が多いせいか、手袋より指が自由に使えるハンドウォーマーが人気のようで結構売れた。

布のハギレは巾着袋を作ったり、大き目のハギレはあずま袋を作ったりしたが、これも結構売れた。

大変と言えば大変で、「なんでそんな面倒くさいことをして処分するの?」と思う人も多いかもしれない。しかし、私の場合、捨てるということにかなり抵抗があって、捨てると心が痛むので、それを避けるためにやったのだと思う。

田舎暮しは、夏は畑作業などで結構忙しいけれども、冬の間は時間がたっぷりある。ユーチューブで音楽を聴いたりしながら、編物や縫物をするのはなかなか楽しいものだ。少ない材料の組み合わせをあれこれ考えながら作り、それを会ったことのない知らない誰かが気に入って買って使ってくれる。考えてみれば、これは本当に心から納得のいく処分方法だと思う。

満足のいく方法で身辺整理ができると、だんだん良くなっていく、だんだん良くなっていく。


要らないものを処分する方法

身辺整理をする上で、バザーに出すというのは、必要な人にその物が渡り再利用されるわけだし、売上金が何かの役に立つので、とてもいい方法だと思う。しかし、いつどこでバザーがあるかなかなか情報を得にくいし、処分したいときにすぐバザーに出せるとは限らないという難点がある。

買い取り業者に買ってもらう場合は、店に持ち込むか、箱に詰めて送って査定してもらう。いつでも処分できるが、買い取り価格は非常に安い場合が多い。和服を処分したことがあるが、正絹の着物以外はまったく値が付かないと言われた。ほとんど未使用のものでもウールの着物などはタダで引き取るだけと言われた。それでも捨てるよりはいいけれど、なんだかなぁ・・・・という気はした。

そしてオークション。これは、うまく行けば一番納得のいく処分方法となるかもしれない。それを欲している人の手に渡るわけだし、落札してくれる人はそれなりの価値を認めてお金を払ってくれる。オークションのやり取りの中で、メールのやり取りをする場合もあるが、文面からして相手が人柄の良さそうな人だったりすると、とてもホッとして手放すことが出来る。ただし、オークションはとても手間がかかる。品物の写真を撮ったり寸法を測って載せたり、詳しい解説を書いて載せたり、品物が壊れないように丁寧に梱包して発送したりしなければならない。

そう、このように捨てる以外の方法での処分というのは、とても大変で時間がかかるのだ。それでも苦痛なくなるべく納得いくような方法で身辺整理は進めていきたい。

そうすれば、身の回りがスッキリとして、だんだん良くなっていく、だんだん良くなっていく。


人にあげるのは難しい

またまた身辺整理について考える。

身辺整理の基本は、やはり「必要のないものを手放す」という作業だと思う。しかしこれがなかなか大変なため、身辺整理は一筋縄ではいかない。

「手放す」方法としては、「捨てる」「ひとにあげる」「バザーに出す」「買い取り業者に買ってもらう」「オークションに出す」などがあると思う。

捨てるのが一番簡単なのだが、これが一番精神的苦痛を伴う。

ひとにあげるというのは、いいようで実は問題が多い。私の知り合いにも自分の要らないものをくれる人がいて、私はとても困惑してしまう。私が欲しいと言っているわけでもないのに、自分が捨てるということをしたくないために、私にくれるのだ。そして、「要らなかったら捨ててもらって構わないのよ。」などど言う。その人は一回りも年上の人だし、私は性格的に、「要りません。」とその場でキッパリと断ることがなかなか出来ない。でも、今度からは「うーーん、私には必要ないので、これを必要な方がいたらその方に差し上げて下さいね。」と言えるといいなと思う。

ひとにあげるとしたら、要らないものを段ボール箱などにまとめて入れておき、友人などが遊びに来た時に、「これは処分しようと思っているものなんだけど、もし必要なものがこの中にあったらもらってくれると助かるんだけどね。でも、無理に持って行かなくてもいいのよ。」という風に言うのがいいのではないかと思う。

今日も取りあえず、だんだん良くなっていく、だんだん良くなっていく。

身辺整理

ここ数年の私の「今年の目標」は、「身辺整理」だ。まだ使えるけれどもずっと使っていないものをだいぶ手放した。以前はバザーに出したりもしたが、去年と今年はオークションで売ってみた。捨てるということにはとても抵抗があるので、誰かが使ってくれてしかも少しおこずかいが入るというオークションは、なかなか便利だ。

お金のやり取りはサイト側がやってくれるので安心だ。品物の情報を良い点も悪い点も詳しく載せておき、迅速丁寧な対応を心掛けているせいか、100点くらい売ったけれと今のところトラブルになったことはない。ただ、見知らぬ人に自分の住所と名前と電話番号が知られてしまうということだけがちょっと気にかかっているが・・・

高かったけれどこれからずっと使う予定のないものの処分に、オークションは最適だと思う。買ったときは確かにそれが必要だったのだと思う。でも、年齢が進み環境が変わり生活や考え方が変わるうちに、必要でなくなっていくものがたくさんある。そして、ふと気が付くと必要でないだけでなく、それらを持っていること自体が不快になっていたりする。

オークションで売るには写真を撮る。思い出があるものもあるけれど、その写真だけ残しておけば特に未練はない。こんなものも持っていたなぁ・・・くらいのものだ。身軽になって何か足りないと思ったら、今の自分にしっくりくるものを探して手に入れる。

こうするうちに、だんだん良くなっていく、だんだん良くなっていく。


ドライヤーを買い替える

私はどちらかというと古いものを大切に使い続ける方なのだけれど、最近はそのことがいいとばかりは言えないような気がしてきた。

ヘアドライヤーを買い替えた。以前持っていたのものは「くるくるドライヤー」とかいうもので、髪の毛にクルクル巻きつけて乾かしながら髪を内巻きにしたりできるものだった。しかしそれはそれほどパワーはなく、髪を乾かず目的ではあまり使い勝手が良くなかった。髪を長く伸ばしていた頃にはよく使っていたが、髪を短くし更に仕事も辞めて家にいることが多くなってからは、まったくそのドライヤーを使わなくなってしまった。

まだ使えるけれども5年以上も使っていないドライヤー・・・家の片づけをするたびに、気になっていた。どうせ使わないのだから捨ててしまおうかな・・・

ところでここ数年、髪がだんだんパサパサになってきた。まるで小〇征爾さんのよう。(そこまでひどくないけれど・・・あ!、小〇征爾さん、ごめんなさい。)私はこれは年取ったせいだと思っていた。ところが美容院にいったとき、「髪を洗った後ドライヤーで乾かさないと、だんだんこうなるんですよ。」と教わった。

そうなのかー。ということで、私は思い切って古いくるくるドライヤーを処分し、新しいドライヤーを買おうと決心した。くるくるドライヤーはオークションで400円で売れたので、捨てずにすんだ。今度はパワーがあってナノイーが発生するという話題のドライヤーを買った。ナノイーが発生するものは2種類あったが、私はパワーが同じで軽い方を選んだ。



使い始めてビックリした。髪を乾かすのがとっても簡単で早い。パサパサだった髪がツヤツヤとまではいかないが、なんだかきれいにまとまっている。髪が濡れたまま寝ることもなくなったのでとても快適だ。

ものを大事に長く使うことは楽しいことだと思うけれど、それが自分にとって快適なものでなくなったら、手放して新しいものを手に入れることも気持ちいいものだと思った。

ドライヤーの買い替えひとつで、私の髪の毛と気分がだんだん良くなっていく、だんだん良くなっていく。

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